サイクリング・コンピューターに向かう

2016-04-23

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引っ越して家が遠くなったので自転車を買いました。岬町というか南ア、自転車を移動に使うという考え方がないみたいで自転車屋が少ないうえ、たまにある自転車屋で売っているのは数万円する本気の自転車。ママチャリで十分なのに、ということでリサイクルショップへいくも中古でも1.5万円~くらい。

「このボロいのにこの値段?」

と迷ったけど、そのうち売るからいっかと購入。

早速学校へ自転車で通ってみたら、研究室のDさんが「週末サイクリング行こうよ」と誘ってくれたんで行ってきました。

ひょっとしてと思ったけど、やっぱり。

Dさん本気の格好(写真右の人)。

結構頑張ってこいでたんだけど、体力と自転車の性能の違いを埋めることはできず遅れ気味。家から街~シーポイント~キャンプスベイ~ハウトベイと回ります。
が、ハウトベイでDさんの自転車パンク。

ハウトベイ

東京で説明すると、上野を出発して池袋→新宿ときて渋谷でパンク。どっちにしても家に帰るのがしんどいところ。日曜で自転車屋も休みだったんだけど、たまたま近くのカフェのオーナーが自転車好きらしいっていうことでお願いしたら直してくれました。
といっても遅くなっちゃったんで、ゆっくり来た道を戻ります。


きれいな景色で気持ちいい 

と、調子に乗っていましたが、家から3キロくらいのところで自転車をこげなくなってしまいました。電池切れ。情けなかったんですが、ちんたらこいで帰宅。Dさんに「次はコーラとか飲めば大丈夫だよ」っていわれました。

学校ではモ国の仕事を始めるべく論文を読んでいるところ。論文を多く読んだ方がいいことは重々わかっているんだけど、きりがないように感じてしまっていい加減切り上げてしまっていいのかいまいちわからない。来週以降は時間が割けないので、ここまでの内容でプロポーザルを仕上げてしまいました。よくわかってないんだけどね、どうせ予定通りにいかないだろうし、やっているうちにわかるかなっていう感じ。

さて、我が家の周りは高級住宅地。徒歩5分のところに名門高校が市民に解放したグラウンドがあります。

ラグビー場が6面くらいあって広すぎ 

岬町はイギリス系の街なので、グラウンドが対応しているスポーツはラグビー、クリケット、ホッケー、サッカー。サッカー以外は1チーム何人なのか、という基本ルールすらわかりません。夕方は大型犬を連れた人が多数いて、散歩していてもなんとなく手持無沙汰に感じます。

我が家もプール付き

モザンビークにいってきた2~首都マプト

2016-04-20

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モザンビークの首都マプトは海に面した港町。標高が高い南アから下ると蒸し暑くて息が苦しいような感覚に。例年なら気温の高い夏は雨が降って、その後に涼しくなるらしいのだけど、今年は干ばつのせいで気温は高いまま。

ネコが日陰から出ない

首都は都会でビルがバンバン建ってます。植民地時代(~1975)に建てられた建物が多いんですが、最近また建築ラッシュのようで工事中の建物も目立ちます。渋滞もすごい。




人ぎゅうぎゅう+屋根に荷物のミニバス

トラックの荷台に人満載

ミニバスの事故はよくニュースで聞くけど、トラックの荷台に人乗ってるやつの事故は聞いたことないなと思っていたら、モザンビークの夜のニュースで数名死亡+多数重体っていうのをみたので、やっぱり危ないみたい。

自動車パーツ屋はパーツの絵を描くことになってるみたい。

この国は20年くらい前まで社会主義だったので、アフリカ諸国の独立運動のヒーローたちの名前に加えて、「カール・マルクス通り」「毛沢東通り」「ウラジーミル・レーニン通り」とかあって新鮮です。

 
社会主義的壁画(でもアフリカ調)

今回の旅行で初めて知ったモ国と社会主義の国との関係。
  • 独立直後モ国には十分な学校がなかったので多くのモ国人がキューバで勉強してて、キューバにはモ国人専用の学校があった。
  • モ国人は東ドイツでも研修(特に織物)してて、そのせいでドイツにはそれなりの数のモ国人がすんでいる。
  • かつては北朝鮮もモ国に来ていた。
などなど。ぜんぜん知らない世界だったよ。

ビールをいっしょに飲んだソビエト留学経験がある人の話も非常に面白く、

「いやー、ソビエトでいっぱいウオッカをのんだよー。学校の寮でさ、禁止なんだけど、俺たち外交官扱いだったから鞄のなかとか部屋とか・・・」
「いろんな国から、 ニカラグアとか、アンゴラとか、ラオスとかからきててさ、ニカラグア人の同級生は途中で政変があって退学になっちゃったよ。」
「授業?ロシア語だよ。1クラス4~5人で、全員母国語が違うやつを同級生にするんだよ。だから1年たつころにはロシア語はバッチリだね。」

これも歴史としては新しいのに、ぜんぜん知らない知らない世界だったよ。

さて、マプトでは同級生の職場を訪問。

棚が美しい

廊下には種や実の標本

こういう瓶とか超いい

100年以上前の古い本。見てみたいけど怖くて触れない。

コレクションの多くは植民地時代になされたもので、内戦・その後の地雷撤去までブランクがあるそうです。また、専門的な仕事をちゃんとできるスタッフがいなかったり、組織にお金がなかった時期もあるはず。僕らが行った時もエアコンのスイッチが入ってなくて同級生はキレていましたが、その割に古い標本もコンディションは驚くほどよかったです。
「大事だけど急ぎじゃない」扱いのこういう仕事が、いつまでたっても後回しになってしまうのはしょうがないのかな?

同級生の家にお世話になっていましたが、VIP扱いにしてくれたっぽい。魚が高級だった。

左上の赤い魚って高級なミーバイ?
ちなみポル語ではPeixe vermelho(赤魚)らしい。

つづく

モザンビークにいってきた1~岬町から国境

2016-04-18

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モザンビークは南アの隣なんですが、隣とはいっても岬町からはずいぶん遠い。きっと2,000kmくらい(憶測です)?今回調査に使った車が岬町ベースだったので、南アを横断してモ国まで行ってきました。

往きは岬町から南海岸→ダーバン→マプト近くの国境という3泊のプラン。帰りはマプト→ダーバン→南アの真ん中らへん→岬町というルートでした。岬町から南海岸のルートは景色が変化に富んでいて、ドライブにぴったり。

潟湖がいっぱい

とらやの紙袋みたいなバッタ (たぶん子供)。
ギラギラして見えるけど、マットな感じで実物は上品です。

南海岸の一部は雨がいっぱい降るのでイヌマキの仲間の林がある。

 観光客もいっぱいいて、華やかな感じでした。が、シーズンオフの平日なので、観光客はリタイア済みの白人老夫婦ばっかり。
 
キリン発見 

一泊目は同級生Kの彼女の家、二泊目は同級生Kの実家(ここでKとは解散)。どちらも歓待してもらいました。Kの部屋をのぞいたけど、昆虫の標本とあって面白かった。

K:「これはね、小学校1年生の時につくったネズミの骨格標本なんだ。」

やっぱりねー、生物のナチュラルボーンな人は南アでも似たようなもんです。友達の実家に行くのは面白いです。

さて、かなりの距離を走るので、風景は変わっていきます。
特に過去に、南ア国内にもかかわらず別の国扱いされてたところ(たとえばトランスカイ)に入ると、雰囲気が一変。道端を歩いている人が増えて、家畜が増えて、家は粗末になり、木が減ります。

元ズールランド。 家が多い。

3泊めは同級生Hの知り合いのJさんが管理してる小さな保護区に泊まります。
静かですてきなところでした。

植林地の真ん中にある自然が残った谷間。

きれいだから撮ったけど虫わかんない。ウスバカゲロウの仲間?

プロテアの仲間もあった。

つづく。

岬町に帰る・引っ越し

2016-04-11

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先日モ国から帰ってきましたが、いやーアフリカでした。
そのうち、何してきました的なのを書きます。

首都マプトは都会。ビルが2個くらいしかないルサカとは違う。

全体としてご飯がおいしい

ちょっと行くと田舎です。山羊歩いてます、おっさんのTシャツ破けています。

帰ってきてからそのまま新居に移動しました。

ちょうど岬町を離れる同級生がいたので、その後に入りました。月~木はご飯が出る賄い付き・洗濯・掃除やってくれる離れみたいな小屋に住んでいます。そういえば小学生のとき謎の病気にかかったのですが、そのとき母がお医者さんに

「実家の離れで療養させますから!」

と私を入院させまいとよくわからない嘘(離れなんてない)をついたことを覚えています。

こういう至れりつくせり物件は珍しいんですが、ここは大家さん(母屋に住んでいる)が近所の寮のある高校で働いているんで、寮のご飯をもらってきてます。どういう仕組みになっているんでしょうか?大家さん夫妻もそのご飯を食べてるけど。で、この高校が政治家の子供とかも通っている名門校らしくて、ご飯も立派。そのうち紹介します。

で、家に住んでいた同級生がマリオン島っていう南極と南アの間にある小さい島にオットセイ調査に出かけるので、港まで見送りに行きました。船が次にくるのは1年後。それまで何が起きようとも船はこないので、完全に隔離されます。

かなり立派な船だった 

仲の良かった同級生がどんどん岬町を離れていて、残っているのは私ともう一人になってしまいました。岬町には友達といえる人が同級生以外いないのでさみしいです。なにをやるのかよくわかっていないんですが、12月までは大学でリサーチアシスタントっていう名目で働くことになっています。